じょうほく議会だより 第4号 1976(昭和51)年 8月
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佃岬狸畔》一一一■『』宅夕一一』牢》一L》一蛙宰却凸酔岬一■一」凸■且一一p一己一幸醒平政雄側は口約束、何かの一」とで約束しているのかどうか。町長鼎急に大賜睡をこちらに呼んで、じかだんばんをする以外に方法はない。それによって解決をして行きたいので御了承願いたい。四番(所回議員それらが、兇返り地であると雷うことであるとすると、もうすぐにそれら橋難を念めて土地改良が爽施をする。それで、その中で橘梁の分野に対し、大場さんから勝手に.?○万という金を受け取ってある。土地改良はそのような行動をとって、町はそのような処概をとっていない。真米の十文字から火蝿さんが椛限者負担として行なうべき、府貝に通じた大堀鑑熱蛎の下にすでに股蹴された永久橘の道路を繰溝薪負担として行うべき道路を五○年礎の予算の中に含まれ、巾グイまではってある。そのままほ、っておくと、町が負担で総常宥殴弧の分を代行しなくてはならない。前の蜘迎を訓恋され、町に弧のないように処鐙するのが喪班であると思う。その点明らかにしてほしい。町長問題がいろいろふくそうしていくうもあるようですので充分端方に於ても研究し、そのk大場氏を呼んで、峨公の祥さんのご協力寿僻て解決したいと思いまずのでご了承脈います。四番(所回読員解決ができなかった鳩合には大場火を杵発道路行政について聞きたい戸L那珂門地I乙八黍は輩か兄一へ近い蝿所でずが、その交流に於ては石塚を廻るなり、鰭排をまわるなり不使を来たしています《杢源では、鋪・僻の恨裟噸の椛地で、現在川いもでは光kげをのばしている。旅鎚道蹄としても、八本地内で雄非とも、あの逝蹄を戯通させて蛾きたい。これについては改修針画があるかどうか伺いたい。藤井川ダム関係についてですが、ダムができますと猫水の時に冠水するおそれの為、県が安度地区の東側の畑を埋めたてました。なおそれについては熱Ⅲくら峨築、股餓、排水もできています。埋めたてした地点が、粘土でブルとダンプでしめつけ、埋めたてしている。汲計通り工班は完成していま寛緬が降るため、水が停柵している、今年は多少の冬作は耕作F』』U杢忠があるかどうか。町長嶋合によっては、止むを得ないと思います。四番読図議員町蚤がそこまで湾えてやるなら秘は了解いたしまず。されているようですが、あの藤井川の水を雑時的に取水させて、水田化する方法はないか。地元代表が、ダム班務所に交渉に行ったところ、水の間迦は我々のやる範囲でない、行政的な問題で、その方から手をまわしてやってもらいなきいとのことでした。一」れに対し、行政的手段で、水をとって水田にする方法はないか。よそで藤井川の水を勝手にとって、水田に抜けるということは砿来ますが、・あまりに近いので、何ら方法も手を出すことができない。これらについてどのような方法を考えているか脱帆願いたい。観光側係についてですが、この間腿について、・一年位加、Mじような州題で一般礎間しました。その答弁としては、関係機閣と、良く協縦の上韓処するということでしたが、今年の予算黙には、何らの訓盃費も献上されていない。稚北の観光と雷えば、お寺四つ、何ら材料がない。その寺フな時、あそこに立派な湖ができるのですから、内水面の利用針画とか、総合計画にうたっていますが、観光果樹園を殻定するなら、早くやらなければならない。F1建設課長道路閏係の・件ですが、この坂は上入野と、水戸市藤井町圃進一二三分に通ずる稚北町の一級町道です。未改修のまま残されていまずが、荒卿土地改良区の閏辿に於て、改修針画がなされなければならないと筒うことで、延び延びになったことがあります。本年区暖から、そこの上から見た藤井線にとりつかる二○○メートルについて、その改修要望がなされ、地殻委蝋会は、捌盃伽究し、格付けし、本年の改良針画にのせたわけですが、ご振摘の部分については、半分は十年糧前にコンクリート舗装しています。・そこの改良は荒刷土地改良区の発足に従い、その農迩との凹迩が大切です。旧町遊ですので土地改良区の盤遊針画の農道の排水は、この町逆にスムiズにとりつかると予測しますが、それらの逝蹄計画についてはみていません。.その改悠についても、今綾研究されなければならないと思いますp昨日も、この道路に蛎故今ここで、何らかの餅画を示さないと、大手の業考が入ってきて、公害を生むことにもなるので、答弁をお願いしたい。奔一ユ(一阜牢空・歪一・画冨押』二一J丞一《“一今諦器梁“】ロ羊恥一井川の接点を災祷関連班業で大きな改修恥業がされていますがそこに搬入される壷材は、全部町逝一四一勢線を経由して通ばれる訳ですが、それらの賓材を満叔したトラックが、その通路から三メートル下の畑に転落して、一画がかりで、あげたと言うことです。・帆戯『・七メートルのところは、十一トン永、あるいはそれに適する車がひんぱんに徒米しています。ご術摘の坂は、一部寄付行為でコンクリート釧弦しておりますが、狭いです。今綾本格的に災審の工堺が進められると、更に土地改良小業によって、大きな車が入ると、坂は拙腸されると思います。鞭の改修についでは、改良計画をもっていないので、爽崎としては、今後これらの剛迦を遮投番製篭はかつ硬何ぢこの改修針蜘を進めなければならないと考えています。八本より那珂西に通ずる、十万豚の逝蹄改修ですが令町迩小栓三一七号織は、水戸市飯斑・一号線とつながっていてや飯婆な逝蹄です。これも二級町逆です。水戸市では昭和四十九年坂の部分を帥-28-

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