じょうほく議会だより 第4号 1976(昭和51)年 8月
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凸凹』■”春一夕巳』〉巳》ロー『〕二帝一一一F』い》■一昨一■一《一産■↑▲二一一って、自分の生命が助かる奨画も無きにしもあ急ずです。したがって経涜を理由に水の行政を這っては、相ならんと思います。し尿の問題についてもかく申し上げて差支えないと思います。この娠会中に議員各位が水問題いかにと言うことで、取水上上泉の井戸、何か泉はないかと片山を視察して下さったそうでありがとう存じます。第一に松山下の取水予定地、これは二つ出せと建殻省は言阜孔始めに千代樵の下を出したのですが、思うようでないので、もう一つと言うことで、松山下を出したところ、いいところではないかと言うでくれました。これは、那珂川と藤井川との水の取水を一ケ所から取って呉れる一」とを約束し、承認して呉れたものと考え、喜びました。松山下券ご覧になって、この場所なら良いと言って下さって、心ひそかに喜びました。水遊事故があってから、あの益戸を見ていると、場所も那珂川のふちである。そして井戸の堀り方も深そうである。あの井戸を見て常北は安泰を得るものと思いましたが、多いにはずれ現在行って兇ますと、各位がご一》申一程■一』一壬一壱一四F一一亜晒一両F三一■宅一四〃Fあの取水場が洪水にあい、あの鰯所がくずれた時、どういうことをしたら良いか考えた蝿合一日も早く、あの松山下の水をこの石塚の町に引いて来て、皆さんに喜こんでいただき、断水のない処置を何としても諦じたいと思います。片山の水についても感謝しています。これはいつか術北にプラスされるものと、一部の人と話し合っていましたが、しかし現在水の不足を申していますがこの現状によるとおの泉を}Eに引き上げて、この石塚から配水されるものに喜びと安心を与えたいと思います。あそこから取れる水は、四百トンと考えていますが、実際いくらになるか、もし片山の水四百トンを榊北の営業用水とし這現在の浄水期に引いて、そこから町に給水した場合、どういうことが起きるか、と雷うごとについてし尿処理場の担当岩は、茜って呉れます。石塚へ送水して、石塚で飲んでしまった受是は、し尿処理から流水する水を、川に流れる迄、薄め得ることができないので、これは憂い間簡叩には約束できないと言うもので歩か害欠これは水に関する我が陣営の粋《‐↑唖《一合Ⅱ』一斤咋一醐唾一一皿一一一唖一一■一零℃(一一一可一■■酢呼■画戸《一一全一いて考えました。あの水が駄目な場合、石塚の人達が、水飢雌にさらされる。それを何とかさけなくてはならない。しかし、し尿処理場は、それに対して反対である。こういうことで謡している間に、水の要な時期は、四月から八月中が最南であると剛かされます。蹄は飛びますが、その時一人の人が、あの川の水が不足しているのは、冬期であって、五月’六月頃から、石塚が一播水を必要とする時期には、あの白山の下の方から上げた水が、二百トンの基盤鑑術した水田をおいて、あの片山附近に来て、あそこから川に注ぐことになる。仮に四百トンを取珂た憂園、水田から落ちる水は、その時期だけは四百トン取っても大丈夫だろうと書うことで喜んだ次第で《◎すし尿処理場そのものも急です回水と言うものが無ければ、これも迎営ができません。片山か弓取る水は後に松山下から送水する水が、石塚の飲料水になる時は、それをし尿処理場にまわして安全な操業を続けて参りたいと思います。片山から取った水が浄水蝿に▲一画一画一a》一両一一而聖一エ〃一一一一一一宅一L凸「、戸区一四四〈■■一一■』巽議が出ましたが、それを解消するには赤沢からとった那珂川の水が、あの辺に来て、あの川の水をうずめるので、それによって、あの川の水を汲んで、常北の人達の、のどをうるおすことです.要は松山下から来る水が、本命ですので、この水を郵入することにが必婆です。十四については、あそこに通ずる逝蹄については、かねがねあの辺から叩いています。あの辺の人達の要望から祷っても、}あ近に対する、もとの約束にしたがって、実行してもらうことを強く要望するべきであると思います。十五については、これは大きな問題で、これは適当な丞鳳ゑまのようなものか親織して、共に生き栄えると言う法則のもとに処理して行くべきと毒えます。土ハー十八については、関係課畏より答弁いたさせます○十九については、多年の町の要望です。しかし現在社協も店開きしてL半年をたっていないので、現在の処、これを脚接やる一」とは無理かと忠いま充一例を上げますと、幼稚園のバスは要望されて、一’二ケ月で完全に出来あがりました。しか庁弓、.■)ロー■一一》一》垂一一一一坐《〈ク豆《一一一■《》掴壬』』郡》醇匹一一一いては、三年を経過しています。かようなわけで、決して老人のみではないので、稚北町の成人した人の三’四割は、こ幻脚網に参加していると言うことを、会曇さんから聞かされていますので、適当な折に実呪するよう現在の会畏さんである鍍媛さんにお願いして拝弁を終ります。総務課長五についてですが、町曇の施政方針にもあるように旅費と識要唆をできるだけ節減して喉業鋭の捻出に当てたと富われる通り、本年庇の予諏編成前に各千算編成抵当係、郷艮会搬に於て、充分肘継し、あくまで、この二つについては、前年同誠、いかなる蝿合にあっても五十年度と当初予算額より噸やささないことで、この節減を叶った訳です。播要蜜に於て雲約九○万になっています。旅蟹は、九○万畑になっていますが、鋭剛弁侭の関係で、堀えていますので、殆んど同額と雷うことになります今後これを、どうして節減して行くか、と言うことですが、物品等は一括雌入を行ない、一錐でも一円でも節減に努力したいと考えています。旅鋭については、一言の鐙舜には杢員出娠寸るのが七1八荊唖一.幸一』霊山鐸一西『い》』室二一》〆.《幸一く青(西一口血一一坪↓出張する鐙唾公用車で合巣りするとか、文番を届ける捜画は、郵送する方注をとり、節減を計って参りねいと思います。十四番より総播賦問の鞭最初は前年同誠で出発しても、年座途中で何回か柳正されては、何んにもならないと御指描をいただきましたが、本年度に限り、旅磯と識剛鋭については、あくまでも、当初予算を実施する覚悟で、一あ二つの節誠醤計って行きたいと思います。しかし浄どうしても止むを得ない旅灘等も、あると思いますが輪その場合には是非ご了承をお願いいたします。八についてですが、七六搾醐の第元韓昨日から突入したわけで、四〃中旬を山に群闘行動が腰側されると思います。本町にも自治労から、口羅等が流されて来ると思いますが、当町の製画は、良搬派ですので過激に走る行勤はとらないと確信しています。虹当局としても、職員がストなど行なわないよう厳璽に態勢を確立するとともに、万が一遮法な行為が行なわれた場合にはその黄任の所在を明らかにして厳重な描置をもって臨むという考え方にたち、世論に応えると-23-

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